死は存在しない 感想

死について科学や宗教どちらにも偏っていない視点から考察された本になります。

1話

死後の世界を信じるかというテーマの章。死後の世界について人の取りうる立場で説明されています。説明とは言っても難しいことはなく、科学的立場から信じないか、宗教的立場から信じるか、そのどちらでもないという3つの立場です。それぞれの立場についても物珍しいものはなかったですが、これから本書を読んでいく前にそれぞれの立場の考えを再確認できました。

2話

科学の限界についての章。今日の化学では、説明できないものは存在しないというスタンスを取っています。ですが、そのスタンスでは十分ではないということについて様々な例を用いて説明されています。この手の話としては確かに現時点でも説明のつかないことは結構あると思っているのですが、科学者の立場からも限界を感じ別なアプローチを探求しているというのはなかなか面白いと思いました。

3,4話

3話では、人生において時々起こる不思議なことにどんなものがあるか簡単に触れられて、4話では筆者が実際にどのような体験をしたかが語られます。不思議な体験の話とはいえ、説明自体は淡々としたもので、別に不思議な体験をしたからといってそこから即オカルトチックな話にならない文章は落ち着いて読めるし好感が持てました。

5話

5話では、3話と4話で述べたような不思議なことがどうして起こるのかということをゼロポイントフィールド仮説というものをつかって説明されています。この宇宙の中に普遍的に存在する量子真空と呼ばれるものの中にゼロポイントフィールドと呼ばれる場がありそこであらゆる情報が波動エネルギーとして存在するからという理由なのですが、正直ここで説明されている分野は不勉強であるためうまく理解することができませんでした。ちゃんと理解するには何回も読み込む必要がありそうでした。

6話

6話ではなぜ意識がゼロポイントフィールドとつながりそこに記録されている様々な情報を得ることができるのかについて説明されています。なんでも私たちの脳や体がゼロポイントフィールドと量子レベルでつながっているからだということです。とはいえ我々の表面意識がゼロポイントフィールドとつながることはないので、人間の意識を5種類に分類し、それぞれの解説がされています。それぞれ表面意識、静寂意識、無意識、超個的無意識、超時空的無意識の5つで、そのうち表面意識意外の4つがゼロポイントフィールドとつながっていくということだそうです。なお、ゼロポイントフィールドとのつながりは静寂意識ではときおりつながることがあるといった程度ですが、超時空的無意識までいくとゼロポイントフィールドと深くつながっているとのことです。

7話

ゼロポイントフィールドにあらゆることが記録されるという説を踏まえて、既存の様々な現象を説明しています。アイデアが降ってくるなどの天才と言われる人たちのひらめきだったり、運の良し悪しだったり、果てにはいわゆる神について言及されています。たしかにこの章で言われるように最先端の科学と、昔からある宗教と類似する点を見出すことができる点は興味深いと思いました。

8話

7話と同様にここの話では死後の世界を示唆する現象を説明しています。例えば子供が前世の記憶を語ったり、霊媒体質の人が死者の霊からその人が知っていたことを語らせたりといったことも、ゼロポイントフィールド仮説の立場に立つと、これらの現象は生まれ変わりや霊を呼んでいるというわけではなく、その人がゼロポイントフィールドにつながってそこから情報を得ているからだという話です。また、ここから派生して、ゼロポイントフィールドの記録は人のそれまでの記録が保持され、その人の死後も残り影響を受けることから単純な情報の記録をしているだけではなく、宇宙意思とも呼べるようなものだと話は発展していきます。段々スケールが大きくなってきて理解が追い付かなくなってきたという感じがしてきています。

9話

人の死後、肉体が中心だった意識はゼロポイントフィールドにある意識に移るという話です。そこから幽体離脱の説明から、ゼロポイントフィールドに移った意識は最終的にどうなるかという考察になって行きます。基本的な流れとしてゼロポイントフィールドに移った意識は次第に自我が失われることで苦しみも薄れていくとして、それを苦痛からの開放というような解釈となっているのですが、それをもって既存の宗教における「地獄」はなく現実社会における戒めといった役割のための概念であるという解説は、ゼロポイントフィールドと宗教の天国と地獄の大きな違いとして面白いと思いました。

10話

9話に続いてゼロポイントフィールドに移った意識はどうなるのかという話です。我々の死後にすでに先立たれている両親などにゼロポイントフィールドで再会できるのかという疑問について筆者の考えが述べられています。ここで述べられる筆者の考えはゼロポイントフィールドで再開する故人は自分の意識が作ったものであるとある意味夢のない話ではあるのですが、先に亡くなった両親はゼロポイントフィールドで自我がなくなっているとしたら当然そうなるだろうなと思いました。ここまでだと夢がない話のままですが、何かに守られた体験などから、祈りを向けることの意義についてはポジティブな感じがしていいなと思いました。

11話

ゼロポイントフィールドでの意識がどうなっていくかの続きです。死後ゼロポイントフィールドに移った意識は自我が薄くなることに伴って、自分の周囲から始まり次第に拡大し、人類意識、地球意識と広がり最終的に宇宙意識と呼べるものに至るという説を展開されています。意識が広がることを身近な例でたとえると、新入社員が自分の周りのことで精一杯だったのが、次第に自分のチーム、自分の課、自分の会社、自分の業界、産業、世界と意識できることが広がって行くような感じとされていました。色々と違う部分もあるでしょうが、意識が広がっていく例としてはわかりやすいと感じました。また、本章では「私」という意識は宇宙が生み出して、はじめは自我をもって成長し、人生が終わった時に宇宙へと帰っていくとされていて、そういった話は宗教にもありそうで似たような話になるのは面白いと思いました。

12話

最後の話として、この意識とは何なのかという解説と、それまでの解説から発生する答えが出ないであろう問い。そして本書における「私」というものについての結論、神や仏といった存在の結論が示されています。具体的な理解が追いつかない部分は多々あったのですが、壮大な話の広がりは読んでいて楽しかったと感じました。本書で示される「ゼロポイントフィールド仮説」あくまで仮説なので、どのくらい当たっているのかはわかりません。ですが、自分というものに思いを馳せるきっかけに思わずなったのはなかなか得難い読書体験だったと感じました。

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